──歌手を目指そうという意識が芽生えたのはいつごろでしょうか。
伊藤美裕 小学生とか中学生の頃にみんなが"はやり歌"を覚え始めて、カラオケで歌うようになった頃ですね。音楽の授業で歌を歌う機会があって、その時に褒められたんです。それで友達にカラオケに連れて行かれて歌ったりして。それで喜んでもらえると嬉しくて。それまではバイオリンを習っていたのでクラシックばかりで、"はやり歌"は全然知らなかったのですが、それを聴いて覚えてというのが、人前で歌を歌うようになった最初のきっかけでしたね。
──その頃はどんな歌を歌われたんですか?
伊藤美裕 当時流行っていた歌ですから、ELT(Every Little Thing)、矢井田瞳さん、浜崎あゆみさんなどですね。90年代後半から2000年代にかけての歌でした。それで高校に入って、バンドをやっている友人からツインボーカルで入らないかと誘われまして、文化祭の時だけ活動していました。あとは卒業前の最後の文化祭の舞台で「ロミオとジュリエット」のジュリエットを演じたこともありました。
──それでも大学では普通に就職活動をされたんですよね?
伊藤美裕 はい。これはよくお話ししていることで、報道記者を目指してテレビ局から内定も頂いていましたが、その直後に「歌手になる」という声を聞いて、それが自分で妙に腑に落ちたのでオーディションを受けました。その啓示が天からの声だったのか、自分の内側から出てきた潜在意識みたいなものだったのかは今でもよく分かりません。内定をもらってホッとしていた時にそういうものが出てきたっていうのが不思議で。もともとアナウンサーだとか記者だとか、声を使った仕事がしたいっていうのはあったのですが、ただ声を使うんだったら確かに歌手の方がしっくり来ますよね。
──オーディションを受けたのはその時が初めてだったんですか?
伊藤美裕 そうですね。木村カエラさんの情報を見るために(日本)コロムビアのホームページを見ていたら「歌謡曲のDivaを探せ」というオーディションが目に飛び込んで来たんです。それを見て直感的に「これだ!」と思いました。歌謡曲がどういうものかというのは実はよく解ってなくて、かと言って調べようとしたわけでもなく、良い意味で先入観なしに挑めたと思います。オーディションの時に「現代の山口百恵になります」って啖呵を切ったのは覚えてます(笑)。
──オーディションでは何を歌われましたか?
伊藤美裕 当時カラオケ屋さんへ行くとCD盤に焼けるシステムがあって、それで「くちばしにチェリー」(EGO-WRAPPIN')を一人で練習して応募したんです。頼れる人、相談できる人はいませんでしたから本当に一人でした。それが予選で、本選では「恋におちて -Fall in love- 」(小林明子)を歌いました。印象的だったのは、その頃テレビ局で報道アシスタントとしてアルバイトしていて、本選のちょうど1週間前にサントリーが開発した青いバラ(アプローズ)の完成発表会へ偶然取材しに行ったのですが、その青いバラの花言葉が「実現不可能なものを可能にする」で。それを知った時、なんだか知らないけど大丈夫だっていう気になりました。何の根拠もないですが(笑)。それは強烈に覚えています。
──オーディションではライバルと思えるような人はいましたか?
伊藤美裕 オーディションは自分が参加した大阪予選から5人くらい進んで、全体で20人くらいでしたね、本選では。他人のことは全然気にならなかったので、この人には負けそうだとかいうのはなかったです。受かるか落ちるか二分の一と思ってましたから。とにかく自分次第という思いが強かったです。そもそも失うものもなかったですからね。通っていたアナウンス塾を、歌手になるから辞めると言った時にはだいぶ怒られましたが。
──オーディションに合格してから、内定していたテレビ局(=北海道テレビ / HTB)を断ったんですよね?
伊藤美裕 どう言おうかとすごく考えましたけど、何を言われようとそこに進むと思っていましたから思い悩むようなことはなかったですね。話をしたらすごく親身になってくれて、総務の方からは「1年か2年やってみて違うと思ったら戻ってくればいいんだよ」と言っていただいて。それは安心していっておいでっていう何よりの激励だったんでしょうけど、今にして思えばなんて優しいのだろうと思います。デビューの時も「HTBを蹴った伊藤美裕さん」というテロップ付きで紹介してくださったりして(笑)。同期の人たちや総務の方とは今でも良好な関係なんです。
──グランプリを受賞した時の喜びはいかがでしたか?
伊藤美裕 もちろん嬉しかったですが、そこがゴールとは思わず、ここからだと思っていたので。でもオーディションをずっと受け続けていたら、そこで燃え尽きてしまうような気持ちになったんだろうとは思います。アナウンス塾の先生からも、仮に合格したとしても、それは切符を手にしただけだからね、ってキツく言われてましたからね。印象的なのは、それまで取材をする側だったはずの人間がいきなり取材をされる方になったんだと感じたことでしょうか。受賞が決まった瞬間は意外と冷静だったかもしれません。"コロムビア100年記念歌手"ということでデビューしたのですが、「100年の眠りからの目覚め」というキャッチフレーズも重荷とは感じなかったです。図太いのでしょうか(笑)。
──今オーディションを受けていたり、これから受けようとする人へのアドバイスをお願いします。
伊藤美裕 人それぞれなのでこれが正解とは言えないのですが、自分の気持ちを良い方向に持ってゆくというのは有効かもしれませんね。あとは潔さというのは大事かと思います。変に守りに入ったりしてしまうと自分の良さが出せなくなるというか。これは今回の自分のアルバム作りにおいての気づきにも関わることなのですが、過去も未来もなく、今その瞬間にいる自分ができることをやれる人は強いですよね。舞台に上がった時もそうじゃないですか。光の放ち方が違う気がします。あれこれ考えすぎると曇ってしまうのかもしれません。