──近田さんはオーディションに参加された経験はありますか。
近田春夫(以下、近田) デビューのために自分から自主的にオーディションやコンテストを受けたことは1回もないんだけど、「シンデレラ」(近田春夫&ハルヲフォン)という曲でレコードデビューしたとき、あの頃は各放送局には新人が歌番組に出るためにはオーディションを受けなければいけない規則みたいなのがあって、それは受けました。NHKのオーディションの同期はピンク・レディー。76年とか、それくらいですよね。でも、緊張した雰囲気でもなんでもないの。その頃はもう舐めてたからね、世の中を。審査員のお歴々にはそれこそ藤山一郎さんとかいて、そういう人の前で歌うんですけど、ガンガン客いじりとかしちゃいましたしね。
──逆に審査員をされたことはありますか。その中で記憶に残っている人はいますか?
近田 大沢樹生くんが司会でOTOと一緒に審査員やってたヒップホップ系の番組で、後にm-floになるグループがいて、彼らは素晴らしいなと思った。それと東京12チャンネル、今のテレビ東京でやってた「ロックおもしロック」っていう番組で、まだ少年みたいな感じでどっかのバンドのギタリストにB’zの松本さん(松本孝弘)がいて。うまいっていうかすごかったんですよ。でもその少年がまさかB’zの人だなんて思わないじゃん。そしたら大人になってから「あのとき近田さんにそう言われたのがすごい励みになった」と言ってくれて。m-floも松本さんも、最初に誉めてくれたのが僕だったと言ってくれて嬉しかったですね。
──「素晴らしい」というのは、どんなふうに感じられるんですか?
近田 もちろんキャラクターとかその人の持ち味もあるけれど、今挙げた二つに関しては特に、タイム感ですよね。クラシックであろうと民謡であろうと、心地良く人が楽しむことができる音を出す人っていうのは、いわゆる一拍の幅がたっぷりと長いんですよ。これ以上前でも後でもこの拍から外れるというその幅の中でジャストがどこなのかわかっていて、そのコントロールが数値的にできる人。音程なんて、大して意味ないんですよ。
──それは持って生まれたものなんですか?
近田 訓練でできますよ。どういう訓練をしたら上達するかっていうのも簡単に教えられるんだけど、そこは自分で考えた方がいいと思う。曲の作り方もそう。ホントに5秒で説明できるけど、それは僕が、50年くらいかかってわかったことだから教えない方がいいと思うんだ。自分でそこまで到達して「あ、こういうことなんだ!」と発見した時の喜びは大きかったからね。オーディションもある意味同じで、合格すると、ある程度お膳立てが整ったところにポンと置かれちゃうでしょ? 僕は自分でゼロから獣道を踏みしだいて目的に進んでいく方が楽しいので、否定はしないけど、自分には向いてないなと思う。あと俺、人の言うこと聞かないから(笑)。
──週刊誌の連載でずっとヒットを考えてきた近田さんから見て、今後の音楽シーンでは、どんな人や曲がヒットすると思いますか?
近田 それはねえ、……誰もわかんないよ(笑)。ただ、例えばアイドルがそうだけど、今は楽曲が素晴らしくて歌っている人達を牽引していくケースは少ないと思うんですよ。最近は「この人を応援するためには曲を買わなきゃ」という構造でしょ? アイドルを応援している人達はもう、ミニ"タニマチ"(相撲界の隠語で無償スポンサーのこと)ですよね。だから極論を言ってしまうと、どんな曲でもいいんですよ。なんならグッズがあれば曲なんていらないくらい。そういう意味でファンクラブ組織が整っている人達は強いだろうけど、それは音楽そのものの魅力とはかけ離れていくよね。業界がいったんこのスパイラルを踏み出しちゃったから、もう戻れないですよ。今はそんな状態の、超長いフェイドアウトの中にいるだけだと思う。一見安泰なように見えるけど、落ち着いて考えると未来はないですよ。でも、それはそれでまた僕は面白いと思ってるんだけど。
──曲を作る側にとってもなかなか厳しい現状なんですね。
近田 昔は「京平さん(筒美京平)だからいい」とかじゃなくて、「いい曲だなあ」と思ったら筒美京平だったという、そういう順番だったよね。今は、作曲家はもう全部コンペですよね。自分が書きたいものを書くんじゃなくて、「こういうの書いてください」とお願いされて書き、コンペにかけられ、そこからいちばんいいものをA&R(アーティストや、その人に合った楽曲を発掘、制作する人)の人が選ぶ。そういう意味ではぶっ飛んだものとか画期的なものとかよりは、ネガティブチェックに耐えられるものになりがち。コンペで受かるためにはヘンテコリンな曲じゃダメじゃん。