【先輩Message】#08 星野みちる

自主レーベル「よいレコード會社」第1弾シングル「逆光」リリース☆
昨年12月に自主レーベル「よいレコード會社」を立ち上げ、約1年9カ月ぶりのシングル「逆光」をリリース。ソロ・アーティストとしての新章をスタートした星野みちるさん。芸能界デビューのきっかけとなる「AKB48第1期生オーディション」まで、毎月10件は応募していたという日々を振り返っていただきました。
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初めてのオーディションで最終のひとつ手前まで進んで、「これは行けるかも」と本気になりました
 

 

──もともと歌手とかシンガーソングライターに興味をもったきっかけを教えてください。
 

星野みちる 一番初めは小学生の頃、安室奈美恵さんが活躍されているのを見て、歌って踊れるようになりたいと憧れたのが歌を好きになるきっかけです。「TRY ME」とか安室さんがまだスーパーモンキーズでやっていた頃から見てました。それからソロになって「Chase the Chance」とか「Don't Wanna Cry」とか。小学校4~5年だったと思います。
 それまではJ-Popには疎くて、3歳の時から始めたピアノに熱中していました。中学生になってからはMISIAさんに出会って、「忘れない日々」とかを聴きながら、こんなすごい歌手の人もいるんだと思って。あの声の高さに衝撃を受けて。当時英語を習っていた先生からアルバムを借りてハマりましたね。

 

──初めて買ったCDは覚えていますか?
 

星野みちる  やっぱり安室奈美恵さんでしたね。好きになってからは発売される度に全部買って、CD屋さんに行くのが楽しみで。まだレンタルが無かったのかな、少なくとも自分は知らなくて、毎回CDショップでちゃんと買ってました。知らない人のもなんとなく買ってみたり。それでTRFとかglobeとかも聴きましたね。世代的に小室哲哉さんが多かったかもしれません。
 

──そういった音楽を聴きながら、自分が歌手になるために動きだしたのはいつからでしょうか?
 

星野みちる  実際に行動に出たのは高校に入ってからです。歌うことが好きになってから、小学校6年生くらいから友達とカラオケにも行き出して、中学になってからも続いていましたけど、人前で歌うことは恥ずかしくて、歌手になりたいということは誰にも言えずに過ごしていました。
 それで高校生になってから、同級生に「私、歌手になるんだ!」っていう子がいて、オーディションを受けるということを初めて知りました。「私も実は歌手になりたいんだよね」って打ち明けて、そこから実際に行動に出るんです。友達がオーディションの雑誌があることを教えてくれて、「え! そんな夢のような雑誌があるの!?」って思って(笑)。それを母に話したら「早く言ってくれればよかったのに」って言って一緒に本屋さんへ行ってくれたんです。それで「Audition」と「Deview」を見つけて、2冊とも毎月買うようになって。応募できそうなものに片っ端から送るっていう日々が始まりました。

 

 
──その間、自分で歌の勉強はいろいろとされていたんですか?


星野みちる
 そうです。高校生の時はバイトをしてからカラオケに行くっていうのがひとつの流れになっていました。部活もやらずに、カラオケに行くためにバイトをするみたいな。楽しかったのももちろんありましたけど、当時はカセットとかMDの時代だったので、友達に「ちょっとごめん」とか言ってそれに録音したりして、練習のつもりで毎日のように通っていました。
 

──オーディションは相当な数を受けられたんでしょうか?
 

星野みちる あちこちへ書類を送って、受かっていると電話が来たりするんですよ。携帯電話に「1次審査に通りましたので2次審査の面接を受けに来てください」ってかかってきたり、郵送で通知が来たりいろいろでしたけど。その時はすごく嬉しいです。毎月10通くらい送ってもほとんどが返ってこなくて、良くて1カ所とか。なかなか難しいんだなと思ってました。
 初めて受けたのは雑誌で見たものじゃなかったかもしれませんがソニーのオーディションで、それがたまたまいいところまで行ったんです。5次審査くらいまであったんですけど、その4次まで行ったんですね。最初に受けたのがそれだったので、これは行けるかもしれないって本気になっちゃったのはあると思います。

 

オーディションを受けているとき、審査員の前で歌える、知らない人が私の歌を聴いてくれているって思うだけで嬉しかった

 

──歌の審査では課題曲とかがあったんでしょうか?


星野みちる 自由でしたね。MISIAさんの「飛び方を忘れた小さな鳥」っていう歌が凄く大好きだったので、毎回必ず歌っていました。難しい曲なんですけど、とにかく好きで、母も「声が一番よく出ているような気がする」と言ってくれていたので。当時はひとりで電車に乗れなくて、オーディション会場へは母と一緒に行くのが当たり前になっていました。私がオーディションを受けている間、母は近くの珈琲屋さんでずっと待っていてくれたりして。それでいいところまで行ったのはいくつかあったんですけど、結局何のオーディションだったか全然憶えてないんですよ。
 雑誌以外でも、ネットで検索して応募したりもしましたけど、中にはちょっと怪しい感じのもありましたね。「歌がすごくいいから、うちのレッスン生になりませんか?」って言われてレッスンを受けていたら、最初の仕事がティッシュ配りですって言われて、「えっ!?」ってなって、さすがに辞めちゃいましたけど。最後は怖くて泣きながら言ったのを憶えています。

 

──そんな中でAKB48のオーディションが初の合格だったんでしょうか?
 

星野みちる  そうです。初めてでした。AKB48のオーディションも雑誌で知ったんです。私が飛ばしていたページを母が見つけてくれて、「秋元康さんは有名だからきっと大丈夫だよ」と後押ししてくれたので、じゃあ受けてみようと。いつものように10個くらい送ったうちのひとつでした。“秋葉原、始動”みたいなことは書いてましたけど、アイドルグループとはよく解らずに応募したんですよね。その少し前に受けたオーディションで「自分で曲を作った方がいいよ」って言われて、それまでそういうことは全然考えてなかったんですけど、初めて作ってみたんです。それで受けたのがAKB48のオーディションだったんですよ。だからそのアドバイスは大きかったですね。私ひとりだけだったんです、曲を作って持っていったのは。ピアノ習っていて良かったなと思いました。
 

──そのときの曲というのは、その後何かに収録されたりしたんですか?
 

星野みちる 歌詞は変わったんですけど、昔出した『卒業』っていうアルバムの中の「DEAR M」っていう曲で、その時には大島麻衣ちゃんが詞を書いてくれました。メロディはオーディションの時に歌ったまんまです。そのアルバムにはほかにも自分が作った曲が何曲が入っています。AKB48を卒業してから初めて出したCDだったんですよ。

──AKB48のメンバーになってみていかがでしたか?


星野みちる 高校1年からオーディションを受け始めて19歳でやっと合格できたので、とにかく喜びが大きかったです。アイドルになるとかあまり関係なくて、ただただ嬉しかったですね。ダンスが苦手だったので毎日必死でしたけど。でも全然苦ではなくて、むしろ楽しかったです。
 それまでオーディションを受けているときも、審査員の人たちの前で歌える、知らない人が私の歌を聴いてくれているって思うだけで嬉しくて。なんだかライブ気分でオーディションを楽しんでたんです。だから落ちても苦にならなかった。それが実際にライブをやれることになったわけだから本当に楽しくて嬉しくて。

 

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